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東京地方裁判所 平成4年(ワ)7935号 判決 1996年2月08日

《住所省略》

原告

今村恵子

右訴訟代理人弁護士

余吾要

中野惇

《住所省略》

第一事件被告

村木弘治

《住所省略》

第一事件被告

川原博行

《住所省略》

第一事件被告

野澤弘

《住所省略》

第一事件被告

内山武雄

《住所省略》

第一事件被告

西川信義

《住所省略》

第一事件被告

八木肇

《住所省略》

第一事件被告

牧雄

《住所省略》

第一事件被告

原正直

《住所省略》

第一事件被告

川合四朗

《住所省略》

第一事件被告

菅沼義男

《住所省略》

第一事件被告

竹森敏夫

《住所省略》

第二事件被告

大羽貞雄

《住所省略》

第二事件被告

福田公夫

《住所省略》

第二事件被告

福岡勝男

《住所省略》

第一事件被告兼被告ら

堀越董

14名訴訟代理人弁護士

被告ら15名訴訟代理人弁護士

杉田時男

牛江史彦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

(第一事件)

セメダイン株式会社に対し,第一事件被告村木弘治,同川原博行,同野澤弘,同内山武雄,同西川信義,同八木肇及び同牧雄は金6億9467万7354円,同原正直,同川合四朗,同菅沼義男,同竹森敏夫及び同堀越董は金4億4368万3000円(被告村木ないし同堀越を第一事件被告らという)並びにこれに対する被告川原,同野澤,同西川,同八木,同原,同川合及び同菅沼については平成4年5月30日,同竹森及び同堀越については同月31日,同牧については同年6月1日,同内山については同年6月2日,同村木については同年6月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を連帯して支払え。

(第二事件)

セメダイン通商株式会社に対し,第二事件被告大羽貞雄,同福田公夫及び同福岡勝夫(第二事件被告ら)は,金2億584万5948円及びこれに対する平成4年3月23日から支払済みまで年6分の割合による金員を連帯して支払え。

第二事案の概要

第一事件は,セメダイン株式会社(セメダイン)がアメリカセメダイン株式会社(セメダインUSA)を合弁相手から買収したこと(本件会社買収),又は右買収に先立ってセメダインUSAの株式保有に関し合弁相手と覚書を締結したこと(本件覚書締結)が,取締役の善管注意義務等に違反するとし,これによりセメダインは株式代金,合弁相手に対する報酬等相当額の損害を被ったとして,第一事件被告らに対し株主代表訴訟により損害賠償の請求をしている事案である。

また,第二事件は,セメダインが取得した右セメダインUSA株式のうちの半数をセメダイン通商株式会社(セメダイン通商)が買い取ったこと(本件株式買取り)が,取締役の善管注意義務等に違反するとし,第二事件被告らに対し株式代金相当額の損害賠償を請求している株主代表訴訟である。

一  当事者・本件の経緯等(争いがないか,掲記の証拠により認められる。)

1  セメダインは,接着剤,粘着テープ,粘着剤等及びその加工品の製造・販売等を目的とする,資本金27億8490万円,東京証券取引所市場第二部及び大阪証券取引所市場第二部上場の株式会社であり,セメダイン通商は,文房具類,教育用器材等の販売等を目的とする,資本金5000万円の株式会社である。セメダイン通商の株式は,セメダインが45パーセント,原告が40パーセント,セメダインの関連会社である利根川化工株式会社(利根川化工)が15パーセントをそれぞれ保有している。

原告は,セメダイン及びセメダイン通商の各株式を,被告らに対する提訴請求をした日より6月前から保有している。

第一事件被告らのうち,被告村木は本件会社買収及び本件覚書締結当時のセメダインの代表取締役,被告川原,同野澤,同内山,同西川,同八木及び同牧はいずれも本件会社買収当時のセメダインの取締役,被告牧を除く第一事件被告らはいずれも本件覚書締結当時のセメダインの取締役であった。

また,本件株式買取り当時,第二事件被告らのうちの被告大羽はセメダイン通商の代表取締役,同福田及び同福岡は同社の取締役であった。

2  昭和60年11月25日,セメダイン及び利根川化工とハーベイ・ユニバーサル株式会社(ハーベイ社)は,セメダインがライセンスを供与し米国内でセメダイン製品を製造販売する目的で,合弁契約を締結し,セメダインUSAを設立した(甲1の1,1の2)。設立にあたっては,セメダイン側とハーベイ側がそれぞれ2万5000ドルを出資して,各2500株,50パーセントずつの株式を保有し(当初利根川化工が5パーセントを有していたが,後にこれをセメダインに譲渡した),ラリー・ビー・ハーベイ(ハーベイ)が社長に就任した。

3  セメダインUSAは,当初,製品生産を米国企業に下請委託していたが,下請企業が競争関係にある企業に買収されたため,子会社セメトロン・インク(セメトロン)を設立しで製品生産に当たらせるセメトロン・スタートアップ計画が策定された。平成元年12月のセメトロン設立に際しては,セメダイン側とハーベイ側がそれぞれ50万ドルを出資し(後に,各50万ドルを追加出資),各200万ドルの融資を行うことが合意され,セメダインは三菱銀行に対する保証という形で資金提供を行った。このほかセメダインは,昭和63年2月に6万5000ドル,同年11月に2750万円,平成元年8月に1720万円を,それぞれ運転資金としてセメダインUSAに貸し付けている。また,セメダインUSAは,セメダインのメインバンクである日本長期信用銀行(長銀)ロスアンゼルス支店とローン契約を締結し,セメトロン社の物件等に担保を設定したうえ500万ドルの与信枠を設けた(乙36。以下とくに断らない限り,書証番号は第一事件のもの)。

4  セメダインUSA及びセメトロンの業績は,折からのアメリカ経済の景気後退やセメダインの供与する製品技術の定着に手間取ったことなどもあって,赤字が続き,両社連結で,平成元年9月から平成2年8月までの期間の営業損失は237万ドル,経常損失299万ドル,累計の損失が約500万ドルに達していた。セメダインはハーベイに対し,効率的な経営を図るように申し入れたものの,セメダインUSAの経営改善は進まなかった(甲7の8,被告川原)。

5  平成2年9月,ハーベイ側から,セメダインUSAの運転資金の確保と金利負担の軽減を図るため,ハーベイ社及びセメダインが融資している各200万ドルを出資金に振り替えるとの提案があったが,セメダインは,保証で済んでいるものを現実の出捐に変えるのは自社の資金事情から難しいことなどの理由で,同月21日の取締役会において,この提案を拒否したうえ,今後も追加出資には基本的に応じないこと,ハーベイ社又は第三者が新たに出資し,その結果としてセメダインの持株比率が低下しても異議を申し立てないことを決議した(甲1の22,乙36,被告川原)。

右決議を踏まえ,被告村木らにおいてハーベイと交渉した結果,平成2年12月2日,ハーベイ社の持株を第三者に譲渡して700万ドル以上の資金導入を図り,右資金をセメダインUSAに還元することによって資金状況を改善する旨のハーベイの目を入れ,セメダインUSAがハーベイ社に対し1株1セントで184万5000株の新株を割り当てること(これによりセメダインUSAの持株比率は,ハーベイ社が95パーセント,セメダインが5パーセントになる),株式の譲渡制限を撤廃すること,セメダインは貸付又は出資を問わずセメダインUSAへの追加的拠出の義務を負わないこと,セメダインは取締役の任命権を失うこと等を内容とする「セメダインUSAの株式保有の再構築に関する覚書」が締結され(甲3の1),同月21日のセメダインの取締役会において,第一事件被告らを含む当時の取締役(ただし,特別利害関係を有するとして決議に参加しなかった被告村木を除く)全員の賛成により承認可決された(甲1の23)。この結果,セメダインはセメダインUSAの経営に関与せず,技術支援を主体に協力することになり,セメダインから派遣していた被告村木ほか1名のセメダインUSAの取締役は,辞任した(甲1の24,乙36,被告川原)。

6  しかし,その後もセメダインUSAの業績は好転せず,平成3年6月時点でセメトロンとの連結の累計損失は約820万ドルにまで達する一方(甲7の11),第三者から資金を導入する計画も進展せず,また,セメダインの持株比率が低下したため長銀もセメダインUSAへの融資に消極的姿勢をとるようになったため,セメダインUSAの経営は厳しい状況が続いた。

このような状況のもとで,平成3年5月,セメダインUSAから,同年6月から12月末日までに返済期限が到来するセメダインの貸付について,その返済を猶予して欲しい旨の申し入れを受けたことをきっかけとして,セメダインとハーベイとの間においてセメダインUSAの今後の経営について協議が行われた。そして,交渉を重ねた結果,結局,セメダインがセメダインUSAの全株式を取得することになり,同年10月18日の取締役会において,被告村木ら取締役8名全員の賛成により本件会社買収が承認され,同日付けで契約が締結された。この取引において,セメダインは,ハーベイ社の出資額104万3450ドル及び融資残額237万1302.97ドルを肩代わりしたほか,それまでのハーベイのマネジメント報酬分として100万ドルをハーベイ社に支払った。また,セメダインは,同年9月17日の取締役会において,本件会社買収を前提として,セメダインUSAが長銀から運転資金の融資を受けることができるよう,長銀に対し250万ドルの債務保証を行うことを決議した(甲1の26ないし30,甲5,乙36,被告川原)。

7  セメダイン通商は,平成4年3月9日の取締役会において,第二事件被告らの賛成により,セメダインの求めに応じて同社からセメダインUSAの株式102万5000株(発行済株式総数の50パーセント)を買い受けることを承認可決し,同月19日売買契約を結び,同月25日代金2億584万5948円(セメダインの取得価格,すなわち,セメダインの出資額,ハーベイ社の出資額,ハーベイに対する報酬,弁護士費用等を合算した額の半額)を支払った(甲1の37,乙37,第二事件甲2及び3,被告川原,弁論の全趣旨)。

二  争点

(第一事件)

1 本件会社買収は,取締役としての善管注意義務・忠実義務違反行為か。

2 本件覚書締結は,取締役の損害賠償責任を生じさせるか。

3 本件会社買収により,セメダインに損害が生じているか。

(第二事件)

4 本件株式買取りにより,取締役の損害賠償責任が生じるか。

三  争点に対する当事者の主張

(第一事件)

争点1 本件会社買収と取締役の義務違反

(原告の主張)

本件会社買収は,僅か9か月前に一度撤退の判断を下した事業について,再度進出するという極めて異例の経営判断をしたものであるから,中心的な役割を果たした被告村木,同川原及び同野澤は,通常の会社買収の場合以上の極めて高度の注意義務を要求されていたのであって,右被告らは,本件会社買収の可否を決定するに当たり,①経営戦略の策定(企業買収の必要性の検討と他の戦略との比較),②買収交渉戦術の検討・立案,③買収プロジェクトチームの編成と条件及び戦略の検討,④買収交渉の開始,⑤基本合意書の締結・調印,⑥買収監査と買収事前調査,⑦買収価格算定方式,対価支払方法の決定,⑧買収契約書の締結・調印という調査,検討の過程を経るべきであったのに,これを怠ったまま本件会社買収を決定・実行した。本件会社買収の価格については,客観的裏付けが欠けている。

被告内山,同西川,同八木及び同牧は,十分な調査資料の提出を受け,詳細な説明を求めるなどして,被告村木らの行動を監視し誤りを是正すべき義務があったのに,これを行わないまま被告村木らの説明を鵜呑みにし,短時間かつ形式的な審議をしただけで,何らの異議を述べることなく本件会社買収に賛成し,これを容認した。

セメダインがハーベイから提訴される合理的理由は存在せず,右被告らが本件会社買収を決めた本当の理由は,会社の利益を無視し,被告らの自己保身のために,あくまでセメダインUSAの清算を避け損害が顕在化するのを防ぐことにあった。

(被告らの主張)

セメダインUSAの収益が益々悪化する中で,ハーベイ社から追加出資に協力して欲しい,協力しなければ訴訟も辞さないと迫られ,セメダインUSAの存続が危ぶまれた。この時点で,セメダインは,北米における事業を継続すべきか断念すべきかの岐路に立たされ,会社の内部だけでなく,外部の海外問題専門家,海外弁護士なども含めて検討した結果,事業を継続し,セメダインのブランドイメージを守り,顧客の信用を維持しなければならないと判断した。事業継続のためには,セメダインUSAの収益を改善することが不可欠であるが,収益改善のためにはセメダイン自らが主体となって合理化・顧客開拓を進める必要があり,またそのためには,セメダインUSAの資本・経営に対するセメダインの支配権を確立する必要があった。当時すでに米国自動車産業に回復の予兆が現れていて,市場の将来性に期待がもてる見通しもあったので,ハーベイ側との紛争を未然に防止しつつ,ハーベイ社からの円滑な業務の移転を図って上記目的を達成するために,本件会社買収を行ったものであり,経営判断として正当なものである。

ハーベイが要求した買収価格は原価主義がベースであり,銀行等の海外M&Aに精通した専門家の見解も,要求自体としては妥当であるとするものであった。本件買収価格は,米国人弁護士等の協力も得て粘り強く交渉を重ねた結果,隔たりの大きかった報酬部分につき双方がぎりぎりの線に歩み寄って合意に達したものである。

本件買収後,セメダインUSAの業績・収益は改善し,平成5年9月以降は,月次ベースは黒字で推移している。これは,セメダインが主導して,セメダインUSAとセメトロン社の合併を含む合理化・人員削減・顧客開拓を進め,技術指導を行った結果であり,これによって,現段階では本件買収が正しい判断であったことが明らかとなっている。

争点2 本件覚書締結と取締役の責任

(原告の主張)

本件会社買収は,新たな判断というより,むしろ,取締役の義務に反し,ハーベイ側に一方的に有利な本件覚書を締結したことの当然の帰結というべきであるから,本件会社買収による損害について,被告村木,同川原,同野澤,同内山,同西川及び同八木らに賠償責任がある。

すなわち,被告村木は,本件覚書締結によりセメダインUSAから撤退する判断を行うに当たり,①当該事業の失敗の原因の解明と経営責任の追及,②合弁事業の存続,撤退の両面からの解決策の検討,③右解決策の実行可能性の事前調査(フィジビリティ・スタディ),④公認会計士による財務調査,⑤弁護士による法的監査,⑥自社の経営全体・経営資源との整合性の再検討,⑦渉外弁護士との打合せと合弁相手方との交渉という過程を経て,セメダインUSAの財務状況,将来における経営改善の見込み,会社が拠出している貸付金の回収可能性や会社が負担している保証債務からの解放,不測の事態における新たな損害の発生等に関して十分な調査を尽くし,最善の方法を選択すべきであったのに,これを怠り,独断かつ密かに手続を進めて,本件覚書を締結した。

被告川原,同野澤,同内山,同西川,同八木は,取締役会において,被告村木の提案にかかる撤退案を審議するに当たり,前述の調査検討が尽くされているか,資料に基づく十分な説明を求めるなどして議論を尽くし,被告村木の判断・業務執行を監視是正すべき義務を負っていたのに,被告村木の提案を鵜呑みにし,漫然と追加拠出の拒否に賛成したのみで,被告村木が前記調査検討を怠り独断で本件覚書を締結したことに対して,十分な議論を尽くすことなくこれを追認した。

その結果,セメダインUSAの資金調達に関するハーベイの責任や第三者導入が不能又は遅れた場合の責任の所在,ハーベイ社に割り当てた新株を用いた資金導入の方法の明記がなく,株式買取価格の算定方法,セメダインUSAの経営が行き詰まった場合のセメダインとハーベイ社それぞれの責任の分担方法,清算に関する取決めもなく,既に拠出したセメダインの出資,融資,債務保証等について何らの債権保全策のない,一方的にハーベイに有利な本件覚書を締結し,この覚書に拘束され,後日本件会社買収をせざるを得なくなったものである。

(被告らの主張)

米国の自動車産業は平成2年に始まった米国の不況の影響で厳しい状況にあり,セメダインUSAの経営も資金的に徐々に苦しくなっていた。このような状況の下で,ハーベイ側から200万ドルの追加出資を求められたが,セメダインとしては,セメダインUSAの経営は現地(ハーベイ側)が主体で行うべきであり,セメダインの援助は基本的に技術支援に限るべきであるとの運営方針を有していたことや,国内の新工場の建設資金の捻出という課題を抱えていたため,追加融資をすることはできず,ハーベイ側の要請に応えられなかったことから,ハーベイ側に,新規パートナーの導入も含めセメダインUSAの経営を委ね(出資比率の低下も容認する),自らは専ら技術指導で協力することで,同社の経営の改善を図かることとし,本件覚書の締結に至ったものである。セメダインの名前を冠した会社の支配をハーベイ側に委ねるのは苦渋の選択ではあったが,そのことでセメダインUSAの事業を継続し,日系自動車メーカーへの製品とサービスの供給が維持できるのであれば,会社の対米進出の目的をそこなうものでなく,当時の状況の下では,合理的な経営判断であった。

争点3 本件会社買収による損害発生の有無

(原告の主張)

セメダインUSAは,到底返済できない多額の累積債務を抱え,早晩倒産は免れないから,本件会社買収のために支出した金員及び負担した債務相当額の損害(内訳は別紙損害一覧表記載のとおり)がセメダインに生じたというべきである。すなわち,①倒産必至のセメダインUSAの株式は無価値であり,②ハーベイに対する報酬は支払いの根拠はないし,仮に支払うとしてもセメダインUSAが支出すべきであって,セメダインが負担すべき理由はない。また,③同社が命脈を保っているのはセメダインの援助があるからに過ぎず,被告らがセメダインからセメダインUSAへの貸付けを続ける限り,株主や会社債権者の利益は害され拡大し続ける。にもかかわらず,責任追及ができないとすれば不当であるから,セメダインUSAの倒産が被告らによって阻止されている本件のような特殊な場合には,倒産が現実化していなくても,セメダインUSAに対する肩代わり融資は損害というべきである。④同様に長銀のセメダインUSAに対する貸付けも回収は困難と判断されるから,保証債務相当額の損害が発生したというべきである。

なお,セメダインは,本件株式をセメダイン通商へ売却し右売却代金相当額の損害を免れたから,これをセメダインに対する請求額から控除する。

(被告らの主張)

企業の経営は,過去から現在を経て未来へと継続性をもって動き,業績の回復,債務の軽減は経営努力によって左右されるから,倒産もしていない段階で投資等を損害であると確定し得る筈はない。本件会社買収後の経営努力により,セメダインUSAの業績・収益は改善し,平成5年9月以降は黒字で推移していることからも,その不当性は明らかである。なお,ハーベイへの報酬は,本件会社買収を実現するため支払わざるを得なかったものであり,本件会社買収を行わざるを得なかった以上,これを損害とすることはできない。

(第二事件)

争点4 本件株式買取りと取締役の責任

(原告の主張)

第二事件被告らには,セメダインUSAの株式を買い取るに当たり,同社の経営実績,現地の経営スタッフ,経営状態,日米両国間の法体系及び国民性の相違から生じる諸問題,企業の動向,経済環境の見通し等について,綿密に事前調査をし,株式を取得することによる利益・不利益を十分に検討すべき義務があった。特に,被告福岡は,セメダイン通商の取締役であると同時に,セメダインの総務部長としてセメダインのセメダインUSAに対する処理全般及び同社の実態のすべてを知悉していたのであるから,同社の経営状況について開示し,セメダイン通商の取締役全員に正確な認識をさせるべき義務があった。また,被告大羽及び同福田は,被告福岡に対して知っている事実の開示を積極的に求める等して,調査義務を果たす義務があった。

しかるに,第二事件被告らは,右義務を怠り,発行済株式数の4割の株式を保有する原告の意向を汲み取ることもなく,盲目的に親会社であるセメダインの方針に従い,セメダインからの要請から僅か10日足らず間に取締役会に買取りを提案し,反対意見があったにもかかわらず,これに賛成して,無価値なセメダインUSAの株式を,2億584万円余というセメダイン通商の営業規模・実績からみて著しく高い価額で買い取り,セメダイン通商に右代金相当額の損害を被らせた。

(被告らの主張)

セメダイン通商は,セメダイン関連企業グループの一員として,セメダインを中心としたグループ相互の協力関係の下に,従前の赤字体質から脱してきた経緯がある。セメダインの事業はセメダイン通商の事業と深く関連しており,セメダインがセメダインUSAの経営支配権を得て,北米事業に対する経営姿勢を大きく転換したことから,同社の収益状況に改善の方向が見られること,近い将来黒字に転換する可能性が見込まれること,事業そのものの発展が期待されることなどを確認して,セメダインとの共同出資が妥当であると判断した。本件株式の取得価額も,セメダインの帳簿価額を基準としており,本件株式買取りは取締役の義務に反するものではない。仮にセメダイン通商が本件株式買取りによる負担に耐えられなくなれば,セメダイン通商とセメダインとの協議で,セメダインあるいはその関連会社が本件株式を引き取ることは十分に考えられることであり,最終的にセメダイン通商が本件株式買取りによる損害を被るとは決まっていない。

第三当裁判所の判断

一  本件会社買収の経緯等

本件会社買収の経緯,事情等として,前記の事実のほか,次のような事実が認められる。

1  前記のように,平成3年5月,セメダインUSAから,貸付の返済猶予の申し入れを受けたことから,被告村木らが,同年6月から8月にかけてハーベイと会談を行い,セメダインUSAの今後の経営について協議を重ねた。右協議においては,体質改善が先か売上拡大を目指すかといったセメダインとハーベイとの間の経営方針の対立が明らかになったが,協議の中でハーベイは,長銀からの融資が得られないことについてセメダインに責任があり,長銀あるいは第三者から融資が得られない場合セメダインUSAの破産手続を申し立てざるを得ない,そのような事態になればセメダインや金融機関の法的責任を追及することも辞さないなどと主張する一方,セメダインUSAについて持株比率を対等な割合に戻すつもりはないが,条件次第ではセメダインUSAの株式をセメダインに全部譲渡する意思があることを表明した。また,長銀や関係商社である三菱商事,大株主である鐘淵化学工業においても,ハーベイと手を切りセメダイン主導で合理化策を早急に講じるべきであるとの意見であり,在日米国人弁護士及び海外事業コンサルタントも,同様の助言をした(乙36,被告川原)。

2  そこで,セメダインでは,①現地の経営に任せたままセメダインUSAが倒産することになっては,同社に対する債権は回収不能となるばかりか,セメダイン自身の信用失墜につながるおそれが強いこと,②セメダインがハーベイと合弁でセメダインUSAを設立したのは,当時,自動車の対米輸出について自主規制が行われ,日本の自動車産業界では現地生産化が急速に進んでいたが,同業界はセメダインの売上の2割を超える重要な顧客であり,セメダインとしては,国内営業の面からも,アメリカへ進出し自動車用接着剤,シーリング材等を現地において供給して欲しいとの自動車メーカーからの強い要請に応じざるを得ない状況にあったからであって,もしセメダインUSAを倒産させれば,米国の営業基盤を失うだけでなく,国内自動車メーカーの信頼を裏切る結果となり(セメダインUSAは,現地メーカーから要請を受けて,常時30件以上の開発中のプロジェクトをもっていた),国内営業においても重大な事態に立ち至る可能性が大きいこと,③長銀からの融資が得られないことについてセメダインに責任があるとのハーベイの主張は正当と認められないものの,金融機関をも巻き込んだ法的紛争に発展することが予測されること,④こうした事態を避けるためには株式譲渡と経営承継が円滑に行われる必要があり,その後は関係会社等の協力も得られるので,セメダイン主導で合理化策の実現等を目指すことが可能であると考えられること,以上のような認識のもとに,同年9月6日の取締役会において,相当と判断できる条件内で合意が得られる場合はセメダインUSAの全株式を取得する方針を承認した(乙1,4,36,被告川原)。

3  同月9日及び10日に行われた買取交渉において,ハーベイは,買収価格として,ハーベイ社の出資額104万3450ドル及び融資残額237万1302.97ドルの肩代わりのほか,それまでのハーベイのマネジメント報酬分として330万ドルを要求した。右要求に対する長銀M&A部門,在日米国人弁護士,海外事業コンサルタント等の意見は,要求のうち出資額と融資残額の肩代わりは企業買収における原価主義に則した要求で妥当であり,報酬分についても330万ドルという要求額は過大であるものの,セメダインがライセンス料として売上の4パーセントを取得できることになっていたのに,ハーベイの経営努力については無報酬となっていて,かねて不公平であるとの抗議を受けていた経緯や,零回答は交渉を決裂に導くおそれがあることなどから,零にすることには無理があるというものであった。そこで,セメダイン側では,出資額及び融資残額に関する要求については受け入れることとしたうえ,報酬分の減額を求めて交渉し,これを100万ドルとすることで協議が調った。そして,仮合意事項の取締役会承認,セメダインUSA及びセメトロンの会計レビュー等を経て,同年10月18日の取締役会において,被告村木ら取締役8名全員の賛成により本件会社買収が承認され,同日付けで契約が締結された(甲1の26ないし30,甲5,乙36,被告川原)。

4  本件会社買収実行後の平成4年1月13日,セメダインは,ハーベイに代わりピーター・バリーをセメダインUSAの社長に就任させ,次いで同年4月1日にはセメダインUSAとセメトロンを合併(新社名セメダインUSAインク)させて,ロスアンゼルス拠点を廃止し販売管理費用の圧縮を図る等,セメダインUSAの経営改善を進めた(甲1の32ないし36,甲1の38,乙36,被告川原)。

セメダインUSAは,平成7年8月現在依然として12000万ドルを超える累積損失を抱え,著しい債務超過の状態にあるものの(乙37),設立以来,赤字続きであった月次損益が,本件会社買収後改善され,平成5年9月に2万6000ドルの経常利益をあげて以来,一転して黒字基調となり,10万ドルを超える収益をあげる月も出てきている(乙27ないし32,34及び35)。収益状況は未だ必ずしも安定しておらず,現在の収益では負債を完済することは困難な状況にあるとはいえ,平成4年から平成7年までの8月度の業績を比較すると,売上高において約74万ドルから約170万ドルへ2.3倍増,売上総利益は約12万ドルから約39万ドルへ3倍増,営業損益は約5.5万ドルの赤字から約17万ドルの黒字へ,経常損益は13万ドルの赤字から10万ドルの黒字へと,著しい改善を見せている(乙38)。また,セメダインの自動車部門売上高の中に占めるセメダインUSAの売上高の比率も伸びている(乙36)。

二  本件会社買収と取締役の義務違反

1  右のように,本件会社買収は,ハーベイとの合弁事業が行き詰まり,米国におけるセメダイン製品の製造・販売事業を今後どうするかという問題が突きつけられた局面において,ハーベイとの合弁を続けるのでは状況の改善が望めないことが明らかであり,このまま手を拱いてセメダインUSAの倒産という事態に至れば,それまで注ぎ込んだ資金の回収が不能になるだけでなく,企業としての信用失墜,重要な取引相手である自動車メーカーや取引銀行との関係悪化を始めとして,セメダインの事業全体に著しい悪影響を及ぼす恐れがある反面,セメダインが全権限を握って主導的に経営に当たれば,取引銀行等の協力も得られ,経営改善の見込みがあるとの認識判断の下に,経営上の決断としてなされたものである。

本件において選択されたように,将来に懸けて積極策をとり,投資を拡大すれば,その分リスクも増大する。市場からの撤退を決断して手を引いてしまえば,損失拡大の危険はなくなるが,既に生じた損失は確定し,損失を回復するチャンスも失われるし,企業としての信用失墜等,事業の挫折による種々の悪影響を直ちに心配しなけばならない。進むか退くか,市場におけるこうした企業行動の決定は,流動的かつ不確実な市場の動向の予測,複雑な要素が絡む事業の将来性の判定の上に立って行われるものであるから,経営者の総合的・専門的な判断力が最大限に発揮されるべき場面であって,その広範な裁量を認めざるを得ない性質のものである。もともと,株式会社の取締役は,法令及び定款の定め並びに株主総会の決議に違反せず,会社に対する忠実義務に背かない限り(商法254条の3),広い経営上の裁量を有しているが,右のような最も困難な種類の経営判断が要請される場面においては,とくにそのことが妥当するというべきである。したがって,右のような判断において,その前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく,意思決定の過程・内容が企業経営者としてとくに不合理・不適切なものといえない限り,当該取締役の行為は,取締役としての善管注意義務ないしは忠実義務に違反するものではないと解するのが相当である。原告は,本件会社買収は,僅か9か月前に一度撤退の判断を下した事業について,再度進出するという極めて異例の経営判断をしたものであるから,通常の会社買収の場合以上の極めて高度の注意義務を要求される旨主張するが,本件のような場合であっても,与えられている問題の性質自体が異なるものではないから,基本的には同じ判断基準が当てはまるというべきである。

2  本件会社買収の決定に法令・定款違反等の問題はないし,被告村木ら当時取締役であった者が自己又は会社以外の第三者の利益のために右決定をしたと疑うべき根拠もない。また,右決定において,被告村木らの判断の前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがあったと認めるべき証拠はなく,意思決定の過程・内容が企業経営者としてとくに不合理・不適切なものであったと認めるべき事情もない。原告は,本件の場合,企業買収の際に行われるべき調査・検討の過程を経ておらず,調査・検討が不十分であった旨主張するが,本件において最も重要な情報であるセメダインUSA及びセメトロンの経営状況,とくにその財務状況が極めて悪化していたことについては,被告村木らは十二分に認識していたのであって,その点についての認識が不十分であったために相手方に有利な条件で契約をしたという事情はないのである(なお,仮合意事項の取締役会承認後正式調印までの間に,セメダインUSA及びセメトロンの会計レビューが行われている)。本件会社買収については,銀行のM&A部門,海外事業コンサルタント等,海外M&Aについて知識・経験を有すると認められる者の意見を求め,その賛成を得てもいる。本件会社買収後セメダインUSAの収益状況が著しく改善されたことも,セメダインUSAに対する融資や長銀に対する債務保証が損害として確定していない理由を構成するとともに,本件意思決定がとくに不合理・不適切なものでなかったと判断する事情のひとつとなり得よう。

セメダインUSA株式の引取り価格はハーベイの取得価格であって,非公開株式の価格算定方式として一般的に行われている純資産価格法,収益還元法等によるものではなく,ハーベイの報酬分についても,それ自体をとってみれば,支払いの妥当性に議論はあるであろう。しかし,融資の肩代わりを含め,これらの負担は,合弁事業から合弁相手を撤退させ,事業の円滑な引継ぎを受けて完全な支配権を取得するための対価として,総合的にその妥当性をみるべきもので,そこでは企業の信用失墜,取引先との関係悪化,法的紛争の防止といった金銭的な評価が困難な要素も考慮されることになるし,また,最終的には相手方との交渉によって決定されるものである(原告は,セメダインがハーベイから提訴される合理的理由はない旨主張するが,終局的な勝敗の見通しはともかく,米国においてこの種の法的紛争に巻き込まれた場合の有形無形の負担は,小さなものではあり得ないであろう)。したがって,右対価の額の決定自体が,経営上の裁量判断の対象とならざるを得ないのであって,株価の決定が純資産価格法等の一般的な方式によるものでないこと,論議の余地があるハーベイの報酬分を支払ったことをもって直ちに不当であるとはいえず,合弁事業の完全な支配権を円滑に取得することに大きな積極的・消極的利益を認めて買収を決定したことからすれば,本件対価の額の決定が経営裁量の範囲を逸脱していると認めるだけの根拠はない。

3  よって,被告村木らが行った本件会社買収の決定は,取締役としての善管注意義務ないしは忠実義務に違反する行為であったということはできない。

三  本件覚書の締結と取締役の責任

本件会社買収は,前述のように,右買収の時点におけるセメダインUSAの事業経営をめぐる種々の利害を考慮したうえで決定されたものであり,本件覚書を締結したこと,あるいはその内容が,本件会社買収を行うことを余儀なくさせたとか,買収の条件に拘束的な影響を及ぼしたとまでは認められない(本件覚書の締結に伴い発行された新株も,発行価格の1株1セントで引き取られている)。したがって,原告が第一事件において主張する損害(本件会社買収の対価ないし買収に伴う負担)と本件覚書の締結との間に,法律上の因果関係があるとは認められず,その余の点につき判断するまでもなく,原告の主張は理由がない。

四  本件株式買取りと取締役の責任

セメダイン通商は,セメダイン及びその関連企業が発行済株式総数の60パーセントを有する株主であり,セメダインを中心とするグループ企業のひとつである。一般に,グループ企業の経営は,その中核的な企業の信用,資金力等を重要な支えとして行われており,法的には独立した別個の存在でありながら,その事業は相互に密接に関連し,実質的に支援・依存等の協力関係にある場合が多い。セメダイン通商がかつての赤字体質を脱却し,黒字基調を確立できた大きな要素の一つがグループ企業による支援協力にあったこと(第二事件甲5,弁論の全趣旨)からも,セメダイン通商にとって,セメダイン及びその関連企業の信用の維持,経営の健全性の保持は重要な問題であると認められるから,これらが損なわれるような事態に対しては,グループの一員として,相当な範囲内において,これを回避する措置を自ら講じたり,右措置に協力したりすることが是認される。

本件株式買取りは,セメダイングループの海外戦略の一環として設立されたセメダインUSAが倒産の危機に瀕し,これを放置した場合,海外拠点を喪失するばかりか,セメダイン本体の信用失墜を招きかねない事態に立ち到ったため,これを回避するために本件会社買収を行ったセメダインに協力し,買収した株式の半数を引き受けたものであるから,企業グループの信用の保持のために,その一員として協力したものである。買取り価格も,前記のようにセメダインの取得価格そのままである。右の点からすれば,本件株式買取りが,第二事件被告らの取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反するものであるとは認められない。

五  結論

よって,原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法89条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金築誠志 裁判官 本間健裕 裁判官 武笠圭志)

<以下省略>

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